「FIREは危うくて愚か」←余計なお世話です!

こんにちは、そしてこんばんは。窓際投資家です。

ネットサーフィンしていたら、うーん…と思うようなFIRE批判の記事を見つけました。

まぁ、こんな弱小ブログで取り上げたところで反響なんて皆無だろうし、ましてや記事の筆者になんか届きはしないと思うんですが、話のネタになりそうなので私の感想を踏まえながらバッサリ公開処刑していきたいと思います。

記事の引用

まず、記事を引用します。

長い引用ですが、ご容赦願いたい。

全文読みたい人はリンク先の記事をどうぞ。

未熟な若者が「FIRE」を目指す危うさと愚かさ。ドケチ生活で“種銭”を貯めても不幸になるだけ=午堂登紀雄

最近、よく耳にする言葉「FIRE(早期リタイア)」。目指すのはよいですが、ケチケチとお金を貯めて投資をし、その配当で節約生活をすることには危うさを感じます。それよりも稼ぐ力と賢く使う方法を身につけることが重要ではないでしょうか。それが本当の「お金の才能」だと考えます。

(中略)

世の中は貯金の額が多いことが理想のようで、若くして貯金が数千万円あると「すごい人」のように思われています。

しかし本当に重要なことは、「節約して〇〇万円貯める」とか、「積立投資で老後の資産を作る」などといったことではないというのが私の考えです。

私が考えるお金の才能とは、お金を貯めることよりも、まず「どんな状況になってもお金を稼げること」「どんな時代環境でもお金を生み出す方法を作れること」だと考えています。

何かあったときのためにお金を貯めておくよりも、何があってもお金を生み出せる方が、真の安心につながるのではないでしょうか。

(中略)

以前にも「FIRE(Financial Independence, Retire Early = 経済的に自立し、早期リタイアする)」について書きましたが、そういう人たちの取材記事やコラムを読むと、やはりちょっと危うい印象を受けるので持論をご紹介します。

FIRE論の多くは、例えば「1億円を貯めて会社を辞める」とか、「高配当株に投資してその配当で暮らす」みたいな方法です。

たとえば年利4%の配当でも、1億円を投資すれば年間400万円の収入になる(実際には20%が課税され、手取りは320万円)、月25万円あればまあまあ暮らせるよねと。

経済的自立は賛成しますが、早期リタイアは人生の縮小均衡になるリスクがあると私は考えています。

リタイアするなら、自分のスキル、能力、経験に十分な蓄積をして、確固たる知的基盤ができたと自信を持てるようになってからの方が望ましいというのが私の考えです。

(中略)

FIREを望んでいる人は「早く会社を辞めたい」「仕事をしたくない」という人たちでしょうから、そこまでパフォーマンスが高くない人が多いと考えられます(もちろん例外はいますが)。

一方、私の周りでセミリタイアしている人は、若いころは仕事に没頭し、それなりに成果を上げてきた人ばかり(不動産投資家やネットトレーダーは別格です)。

その資本的蓄積(人脈や能力、経験など)のおかげで、少ない時間でより多くのリターンを上げられている印象です。

(中略)

「FIRE」を目指すことの問題点のもう1つは、収入を増やす努力よりも、ケチケチ生活への努力の方へウェイトが重くなりやすい点です。

(中略)

「20代から節約貯金」の人生を送り、リタイアしたあとも同じような生活を送っているようで、月25万円程度の配当収入では、やはりケチケチ生活を送らざるをえず、やれることにも限界があるでしょう(まあ、地方で半分自給自足のような感じなら、それでも十分かもしれませんが)。

(中略)

私は「いまを楽しむことができれば、老後もおのずと充実する」と考えています。

何が起こるかわからない現代ですから、何十年も先の計画を立てられる能力より、予想もしなかった出来事や状況に直面しても臨機応変に対応できる能力の方が大事。

そのためには節約貯金より、実務の中でそういう能力を磨いた方がいい。

同時に、何かあったときのためにお金を貯めておくよりも、何が起きてもお金を生み出せる能力、お金を生み出す方法を作り出せる能力を磨くことの方が重要だと考えています。

それには、リタイアよりも、副業・起業を目指した方がいい。

(以下略)

引用:未熟な若者が「FIRE」を目指す危うさと愚かさ。ドケチ生活で“種銭”を貯めても不幸になるだけ=午堂登紀雄 | マネーボイス (mag2.com)

優れた資質持った人の驕りが満載

これ読んで皆さんどう思いました?

私の感想としては…引用記事の筆者がこんな感じにしか見えないんですよね。

この引用記事書いてる人、意識高い系の令和版マリー・アントワネットかと思いました。

まず、私いつも言ってますけど、人間の能力や適性にはバラツキがあります。

能力や適性が違えば同じもの見ていても全く違う景色が見えるものだし、だからこそ最適な生き方だって人の数だけあるはずです。

という大前提を、この記事の筆者、全く理解していませんね。

まず、最初に一言言わせてもらうなれば、

あなたにはあなたの生き方があるんだろうし、好きにやれば良い。

同じように、我々ダメ人間にはダメ人間の生き方がある。

余計なお世話だ!

というところだな。

ツッコミどころが満載

さて、一つひとつプロ窓際族の私がツッコミを入れて行こうか。

指を指して怒鳴る男性

私が考えるお金の才能とは、お金を貯めることよりも、まず「どんな状況になってもお金を稼げること」「どんな時代環境でもお金を生み出す方法を作れること」だと考えています。

何かあったときのためにお金を貯めておくよりも、何があってもお金を生み出せる方が、真の安心につながるのではないでしょうか。

そんなことみんな分かってますよ。

だけど、努力してもそれできない人が圧倒的多数派だと思いますよ?

それ。

みんながみんな「やればできる」なら、誰も苦労しません。

このオッサンだって、努力さえしたらメジャーリーグでホームラン王になれるの?

プロのトップ選手が

「億貰える選手になれないのは努力が足りないからだ!」

なんて言ったら、多分ボコボコに叩かれますよ?

こういうこと簡単に言うのって、恵まれた資質持ってて「やればできる」人の驕り以外の何物でもないと思うんだけどな。

この人は想像力がないのか、「できない人」がどういうものか全く分かってないようですね。

経済的自立は賛成しますが、早期リタイアは人生の縮小均衡になるリスクがあると私は考えています。

そんなこと分かってないFIRE民いないと思います。

だけど、例えば、無理に我慢重ねて嫌な仕事してれば、メンタル潰してしまったり、最悪の場合命に関わるリスクさえありますよ?

私の職場でも自殺した人とかいます。

バリバリ仕事に没頭できて成功した人には分からない感覚だろうけど、どっちに舵切ろうとリスクゼロとは行きません。

世の中的には働き続ける方が普通なんで中々意識することないのだろうけど、働き続けるリスクだってあります。

諦めが早すぎるとすれば私も問題だとは思いますが、仕事への適正が本当にないのであれば、ジリ貧になるリスク取ってしまっても良いと思うんです。

で、仮に無理して働いて最悪の結果になったとしても、リタイア批判記事書いてる人は誰も責任取れませんよね?

FIREを望んでいる人は「早く会社を辞めたい」「仕事をしたくない」という人たちでしょうから、そこまでパフォーマンスが高くない人が多いと考えられます(もちろん例外はいますが)。

一方、私の周りでセミリタイアしている人は、若いころは仕事に没頭し、それなりに成果を上げてきた人ばかり(不動産投資家やネットトレーダーは別格です)。

今まではそうだったのかもしれませんが、これからは変わると思います。

理由としては、

日本が衰退途上国になってしまい、人口ピラミッド見る限り当分はそれが続く

からです。

周りの生活レベルがジリ貧になっていれば、リタイア後に自分の生活レベルを下げることに抵抗を感じづらくなります。

物価がジリ貧なら、リタイア後に生活費は下がっていきます。

賃金がジリ貧になるのなら、「お金を貯めるなら若いうちに・早いうちに」となる。

若いうちに貯めこんで、後はダラダラ生きようっていうFIRE民の人生観にピッタリの世の中です。

80年代までは、引退してしまった年金暮らしの老人の貧困が問題になりましたけど、あれは当時の経済が右肩上がりだったからで、今後は逆の現象が起こると考えます。

この辺詳しく書いた記事があるので、リンク載せておきます。

「20代から節約貯金」の人生を送り、リタイアしたあとも同じような生活を送っているようで、月25万円程度の配当収入では、やはりケチケチ生活を送らざるをえず、やれることにも限界があるでしょう(まあ、地方で半分自給自足のような感じなら、それでも十分かもしれませんが)。

この記事の筆者は働くための資質がかなりある癖に想像力が欠如してる感じなので、無能なリーマンが見てる景色が分からないようですね。

私も含めたFIRE民にとっては、仕事で消耗することがケチケチすることよりもずっと辛いのです。

さらに言うなれば、「やることに限界」って言っても、私のように物欲もやりたいことも元々ない人間にとっては、「限界」なんてあろうがなかろうが関係ありません。

買い物行くために一般道走るだけなら、軽自動車で十分。

そんな人にレーシングカー売りつけないでくれ。

私、それこそ、この人がdisってる「月25万円」よりずっと「ケチケチした」生活を家族3人でしてますが、別に我慢してるという感覚は全くないし、むしろ幸せなもんですよ。

私はこの記事の筆者と比べるのも申し訳ないぐらいのポンコツリーマンです。

でも、この記事の筆者にはない、

お金をかけずに幸せを感じることができる

という才能があるようです。

お金がかからないってことは、その分働かずに済むと言うこと。

長所を活かして短所をカバーする生存戦略取るのなんて、人間として当然のことだと思います。

その結果が節約の末のFIREなんですが、何か問題ですかね?

セミは「可哀想」なのか?

少し昔話を挟みます。

セミって、幼虫の状態で土の中で何年も過ごし、最後に子孫残すためだけに成虫になり、数週間以内に死んでしまいます。

これに対して、

ずっと土の中で過ごしてきて、やっと成虫になって広い世界飛び回れるようになった途端に死ぬなんて可哀想…

と言う人が少なからずいます。

これ、私の高校の生物の先生はバッサリ切り捨ててましたね。

セミにはセミの幸せがあります。
「暗い土の中にいることが不幸だ」なんて人間の価値観でしょ?
セミにしてみたら余計なお世話!

全くその通りだと思いますね。

今日引用した記事の筆者を始め、FIRE批判してる人の多くは「セミが可哀想」って言ってる人と同じことをFIRE民に対してやってると思うんです。

まとめ

FIRE批判する人とFIRE民って、いつも全く会話が噛み合わないですよね。

引用した記事もそんなチグハグな議論の過程で出て来たものと思われます。

この記事の筆者も含め、多くのFIRE批判論者とFIRE民代表としての私を比べたら、モノを考えるときの前提がこれだけ違います。

項目FIRE批判論者窓際族(FIRE民代表)
仕事やればできるもの。
やり甲斐や達成感があるもの。
努力しようとできそうにないし、
苦痛でしかない。
節約できればやりたくない、我慢してやるものゲーム感覚で楽しめる生き甲斐
投資カネを稼ぐための手段の一つに過ぎない
オマケのようなもの
ゲーム感覚で楽しめる生き甲斐
人生観死ぬまでに色んなことして楽しみたい。
何もしないなんて生きてる意味ない。
人生は死ぬまでの暇潰し。
欲しいものないし、やりたいこともない。
生きてる意味なんて元々ないでしょ?

記事にはっきり書かれていないところは推測になりますが、そこはご容赦願いたい。

これだけ価値観や前提条件が違ってたら、話なんて噛み合うハズがないんです。

で、こういう前提や価値観の違いを理解せずに、自分の価値観を互いに押し付け合って議論しようとするから、いつも水掛け論になって話が平行線にしかならない訳ですね。

最後に、私が1番言いたいこととしては、

  1. 人の能力や適性にはバラツキがある。
  2. 「自分にできることは他の人にもできるはずだ」「できないなら努力不足だ」はできる人の驕り。
  3. 最適な生存戦略なんて人の数だけある。
  4. 安易に他人の生き方に口出したりすべきではない。

といった感じかな。

チームワークが得意ならサラリーマンすればいい。

一匹狼タイプなら個人事業主したらいい。

節約や投資できるならFIREすればいい。

世話好きなら主婦(主夫)になってバリバリ稼ぐ人の支援したらいい。

何をやってもダメならナマポ狙えばいい。

この批判記事書いてるオジサンみたいに無双プレーできる人なんてそうもいないんだし、普通の人は長所を活かして「頑張ってもダメそうなこと」をカバーしながら、十人十色の人生送って行くしかないと思うんだけどな。

その形の一つとして「FIRE」があるだけなのに、なぜこんなにdisられなければいけないのか、私には皆目理解できません。

敢えて、どうしても他人の生き方にモノ申したいと言うなら、

議論の相手が、能力も価値観も自分とは全く異なる丸っきり別の人間で、全く違った景色が見えていること

をしっかり踏まえて批判を展開すべきでしょう。

だけど、残念ながら、そういうFIRE批判を私は見たことがありません。

引用記事の筆者はきっと優秀な人なんだろうけど、本当に優秀で想像力がちゃんとある人だったら、こんな駄文書かないです。

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