子持ちFIRE批判に反論してみる
こんにちは、そしてこんばんは。窓際投資家です。
いやぁ…GW、良いですね。
引きこもり放題、ネットサーフィンし放題、ブログも触りたい放題です!
で、ネットサーフィンしていて、他人のリタイア系ブログを読んでいると、
家族がいるのに、小さな子供がいるのにFIREするってどうなの?
家族にとってはたまったものじゃないよね?
経済的独立を達成しているのだとしても、せめて子供が独立するまでは働いたら?
という意見を持っている人が結構いるようですね。
要は、子持ちFIREへの批判が結構あるようです。
当然というか、別にこれは私や当ブログに対する批判ってわけではなく、家族持ちFIRE民全体に対する批判だろうと思います。
どうせ、こんな弱小ブログ誰も見てないだろうからね!😂
ただまぁ、こういう意見を持つ人が持つ疑問や批判に対し、私なりには答えを持っているので、今日はそれをつづっていきたい。
良く書かれていた批判や疑問に対する回答という形式を取って進めていきます。
批判その1:働いている親の背中を見せられない
まず、
働いていない親を見て育つことが、子供に対して悪影響あるのでは?
という懸念というか批判です。
これは結構書いてるブロガーさんいました。
働くことの大切さが分からないままに大人になりやしないか?
…という話ですね。
確かに、いくらマネーリテラシー高めてマネーマシン作るって言っても、その元手のお金は働いて稼ぐことになります。
何より、圧倒的大多数の人は会社員をしないと飯を食うことができません。
なんで、子供のころから、「会社でサラリーマンやOLとして働くイメージを持つ」ことって重要なのは間違いないと私も思います。
まぁ…それは分かります。理解できます。
別に間違ったこと言ってるとは思わないし、うちの子育てにそういう懸念点があるのは確かだと思います。
ただその一方で、私なんかは
サラリーマンやOLして働くのが普通ではあるけど、それが絶対じゃない。
それが向いていないなら別の道だってある。
ということを伝えたいなぁなんて思ったりもします。
どっちかというと、
他の友達のお父さんとは違うだろうけど、こんな生き方だってあるんだぜ?
会社員務まらないアスペ気味コミュ障でも、どっこいちゃんと生きてるぞ?
ってロールモデルになりたいと思うんです。
そりゃ、自分の子供が会社員に向いているなら、それはそれで構わない。
楽しく会社員してりゃ良いと思います。
ただ、私も30代前半で体を潰しましたけど、どんな仕事するにしても、
「それ以外に道がない」
って思ってやっていると滅茶滅茶苦しいし、メンタルが委縮すると本来の力が発揮できなかったりもするんですよね。
なんでむしろ、ブラック企業で企業戦士してた私の父親(子供にとっては祖父)みたいなの見て育って
食っていくためには会社員やるしかない。
ヘトヘトになりながらも滅私奉公するのが当たり前。
みんなそうしてる。
…みたいに思うのだとしたら、そっちの方が問題あると思うんです。
因みに、私はそんな父親を反面教師にしてプロ窓際族になっちまったようなところもあるんだけどw
うちの子も将来は高い確率で会社員になるんだろうけど、その時は
「嫌なら別に辞めたって良い」
って思いを持ってノビノビ働いてほしいですね。
生前贈与もガッツリかまして、そのための手はしっかり打っていこうと思ってます。
批判その2:子供の可能性を潰す恐れがある
要は、教育費の問題です。
確かに、子供の教育費って振れ幅が大きくて、子供が取る進路によって大きなバラツキがあります。
極端な話、
「医学部に進学したい」
「お坊ちゃま・お嬢様校に行きたい」
「フィギアスケーターになりたい」
こういうことを子供が言い始めたとすると、一般的なサラリーマン家庭ではとても工面できないようなお金がかかることになります。
働き続けていてもそんな有様なんで、早々とリタイアしてしまっていたら、言わずもがな。
不確定要素があるうちは働いていたほうが良くないか?
…というのが批判する人の主張です。
この理屈は私だって理解しているし、悩みどころであるのは事実です。
ただね…振れ幅が大きいがゆえに、
気にしてたらキリがないだろ?
働き続けてても取る進路によってはどうせ学費工面できないんでしょ??
と、私は思うんです。
さすがに、親がリタイアしたいがために、子供に「オール国公立&習い事・塾はNG」みたいな教育環境を押し付けるのは私だって良くないと思いますよ?
ですが、
平均的な金額+α程度を確保しておいて、そこから足が出たら仕方がない
という割り切りはあって良いように思うんです。
文部科学省の調査によると、子供の学費の平均ってこんな感じです。
全て私学だった場合でも、一人頭平均2400万円です。
なんで、私の場合は、子供一人頭2000万円を確保しておいて、そこから足が出そうならその時点でバイトか非正規でもやるつもりです。
っていうか、このご時世だし、足出た分ぐらいはリタイアする気がない嫁さんにお願いしてもバチ当らないと思ってるんですが、ダメなんですかね??
あとがき
批判や疑問を綴った記事を見ていて、総じて思ったのが
気にしすぎじゃないの?
そんなの気にしていたらキリがないよ?
働き続けたからって、その懸念は払しょくされる訳じゃないでしょ?
ということ。
そりゃ、
働き続ければ金銭面の懸念は払しょくされずとも軽くはなるだろ?
って話は理解できます。
ただ、心身が脆かったり適正がなかったりする人が無理をして働き続ければ潰れるリスクも当然ある訳で、これはリスクを天秤にかけた上で決めていく話じゃないですかね?
それに、企業戦士の親を見て育った私がそれを反面教師にしてしまったように、
働いていようと働いていなかろうと、その親の背中を子供が見てどういう影響を受けるのかなんて実際分からない
というのが現実だったりもします。
なんで、あんまり考え過ぎるのって良くないだろうなと思うんです。
あと、もう一つ思ったのが、
批判してくる人と分かり合おうなんて思っても無駄なんだろうな…
ということ。
FIRE批判してくる人とかもそうなんだけど、批判してくる人とは、ベースの部分に持っている価値観や人生観がそもそも違うんで、分かりあおうなんて思っても無理だと思いますね。
ありがちな話として、「みんなと同じ」であることに安心できるタイプなのか、そんな理由では安心できないタイプなのかって違いがあったりします。
思考回路を構成してるOSみたいなもんがそもそも違うので、お互いにスジ通して話しても、平行線にしかならないんですよね。
私だって、批判記事を読んでいて
理解はできるけど、納得はできないなぁ??
と感じました。
多分、向こうがこの記事読んでも同じようなもんなんだと思います。
そもそも論として、意見が対立する相手と「話し合えば理解し合えるハズだ」なんて前提で考えるのが間違いじゃないかと思うんですよね。
だから、
あんまり議論しても無駄だろうし、それによって余計に拗れるんだろうな。
他人が何しようと自分に迷惑さえかからないなら、放置でいいやん?
というのが私の考えです。(じゃ、こんな記事書くなや!って話だよな)
過去にも批判への反論記事書きましたが、これ書いた時もそう思いました。
余談かつ蛇足ですが…
自分でブログやっておいて言うのもアレですが、インターネットって嫌なもので、コミュニケーションの手段が活字のみ。
故に、生身の人間同士で接していると分からない内面の嫌な部分まで見えてしまうんですよね。
それが憎悪や分断や対立を生むという…。
私なんかは生身で接している人を嫌いになることはそうありませんが、ブログ始めてからというもの、嫌いなブロガーはすぐに何人かできました(呆)
困ったもんです。
人間の考えが見える化されてしまうってのも考え物ですよね。
ま、批判に対する反論なんてのはそこそこに、次からは前向きに人の役に立ちそうな記事を書いていきたいですね。