もう運動会・体育祭なんてなくせば?
以前の記事でも少し触れましたが、私は小中学生のころは運動会や体育祭が大嫌いでした。
萩生田光一文部科学相は18日の閣議後記者会見で、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が発令されている地域の小中学校などの運動会について、「直ちに中止するのではなく、工夫してやる可能性を模索してほしい」と述べた。
昨年は、感染拡大の影響で運動会などの行事を中止した学校が相次いだ。 萩生田氏は、学校の運動会に関し「子どもたちにとってかけがえのない行事で、学習効果も大きい」と強調。平日に開催日をずらしたり、時間を短縮したりして保護者らが密集するリスクを避けるなど、感染対策を講じた上で開催するよう求めた。
引用:運動会、工夫して開催を 緊急事態宣言下の学校に 萩生田文科相(時事通信) – Yahoo!ニュース
うーん、これ、昔の私だったら、間違いなくなくなったらラッキーって思ってたと思います。
っていうか、「学習効果も大きい」って根拠あるのかよ?私にとっては「かけがえのない行事」どころかただのトラウマです。
男子生徒は昨年、話したことがない女子生徒から「もしかして、下着が白じゃないんじゃない?」と聞かれた。確かに薄い水色だったが、制服のシャツの下にわずかに透ける程度で「凝視しなければ気付かないのに」と気味が悪くなった。
この中学では体育祭の10日ほど前から、性別を問わず、白以外の肌着を着ていないか、同じチームの生徒同士でチェックし合う。校則には肌着の色に関する記述はないが、「体育祭ルール」の違反者の人数は毎日、校内放送で発表された。
体育祭当日、各チームの持ち点は違反者の人数に従って数点ずつ引かれていた。ただ、競技結果の加点が大きいため、勝敗にはほとんど影響しない。それでも、多くの生徒がお互いの肌着の色に目を凝らす。
男子生徒は「他の生徒から監視されているようで嫌だった」。母親は「下着の色と体育祭の勝敗がなぜ結び付くのか。意図が分からない」といぶかる。
引用:なぜ?体育祭前から生徒間で“監視” 肌着の色で持ち点減点…違反者数も放送(西日本新聞) – Yahoo!ニュース
なかなか気持ち悪いな。下着の色って…。
まあ、公立の中学なんて、程度の差こそあれ、どこもこんなもんって言えるのかも知れません。私が通っていた中学もこれの小型版だった気がします。こういうニュース見ると小中学生時代の嫌な思い出が大量にフラッシュバックしてきます。
正直、子供にはこんなところで教育受けて欲しくないから私学入れた方がいいのかも…まあ、大分先のことか。
体育祭や運動会って、日本の教育や社会のエグい部分を目一杯に詰め込んだ行事だと思うのは私だけだろうか?
Contents
運動会・体育祭が嫌な理由
先生の発表会に過ぎない
まずあれ、先生の保護者に対する発表会であって、子供のためのものではないですよね。そもそも論として。
開会式や閉会式の練習が何度もあって、軍隊みたいに規律良く行進する練習させられるの意味わからなかったし、苦痛でしかなかったです。ずれている人がいるクラスは先生(というか最早あれは「上官」だ)から怒鳴られ、連帯責任でもう一周行進しろとか。
組体操にしても、行進にしても、その他あらゆる演技にしても、どこかの国の軍事イベントみたいで気持ち悪くないですか?
脳筋がここぞとばかりに張り切る
全く勉強できない癖に運動神経だけは良いって奴が、ここぞとばかりに張り切っているの見ると不愉快極まりなかったです。こんなとこで頑張ろうと人生何も変わらんのに。
そういや体育祭だけ番長になってて底辺高校行った奴ら、今どうしてるんだろう?
全体主義教育の場
担任や体育教師は
「心を一つ」「絆」「最高の思い出に」
そんな言葉垂れ流し、戦時中の大本営よろしく生徒を洗脳。
流されやすい奴から先頭に立って行事引っ張って協力的でない他の生徒を攻撃し始め、それが次第にクラス全体に広がります。
終いには、ムカデ競走や組体操の練習するために朝早く来いだの、放課後残れだのと自発的に呼びかける生徒まで出てきて、それに協力しない奴が責められる始末。
練習で怪我人が出たら行事のやり方見直そうってならずに
「怪我した人の分もみんなで頑張って運動会成功させよう」
って、逆に行事を遂行するための美談になるんですよね。これもうはっきり言って異常。こんな理屈通用するの体育祭と高校野球ぐらいだろう。(だから私は高校野球も嫌いです。)
お上のプロパガンダと国民の相互監視・同調圧力で国がおかしな方向に進んでいく時の社会の縮図そのままじゃないのか。
こんな教育おかしい
脳筋がハッスルするのは、まあ良しとして…
大人のエゴで子供食い物にするな
保護者の期待からか、学校の伝統(笑)か、先生の自己満か知りませんが、周囲の大人の都合だけであんなことやる必要ないはず。
周囲の大人の自己満足や伝統という名の思考停止で、子供が犠牲になるのってどう考えても良くない。
協調性は絶対じゃない
教育委員会的には、チームワークを使って何かを達成する喜びを学んでもらうって話だけど、協調性とかみんなで協力することってそんな大事なんですかね?
まあ、協調性があるの自体は絶対的に悪いことなんかじゃないと思いますよ。
だけど、物事には何でも二面性があって、協調性ある人って協調性あるがために他人や周囲の雰囲気に流されやすくなります。そんな人ばかりで組織や社会が構成されてしまっては、おかしな方向に進みだした時にブレーキかける人が誰もいなくなります。
他人から自分がどう見えているか理解はしておく必要はあっても、コミュ障なら無理してコミュニケーション取る必要ないし、友達できなくても無理して周りに迎合する必要なんかないと私なんかは思う方です。
時代に合わない
高度成長期だと、組織として社会として国として進むべき方向ややるべきことがある程度決まっていて、決まった方向に対してどれだけ大きな力を出せるかが勝負のカギでした。日本が他の先進国を追う側だったし、アメリカに追従してさえいれば結果は付いてきましたからね。
でも今は、今までと同じやり方を続けたのではジリ貧あるのみだし、進むべき方向を自分たちで決めなきゃいけません。間違った方向でいくら努力してもドツボに嵌るだけ。組織や集団の都合を優先させて個々人のアイデアを押さえつけていたら、ビジネスでも絶対に失敗します。
協調性ある人って、悪く言うと周りの人に言われたことを黙って聞く人です。高度成長期はこんな人間の方が使い勝手良かったのでしょうけど、今の時代にこんな人間ばかり量産しても仕方がない。
教育に関わる人はクズ率高め
私は教育に関しては素人だけど、教育現場ってなんでこんな歪んでるのかなーって思ったら、関わってる人のダメ率やヘタレ率が高くなる構造的な問題があるような気がしてならない…。もちろん、マトモな人や一生懸命やってる人も沢山いることは重々承知なんですが…。
教師は変人率高い
私の学生時代の経験から言うと、割合の問題で言うと教員の奇人変人率は高すぎます。普通の人には理解のできない独特の価値観・行動原理を持っていて、会話がマトモに成立しないレベルの教員もちょくちょくいるように思えます。
まず、学校卒業してそのまま学校に就職ってのがもう終わってます。最悪です。あの人たちは学校の外の世界、社会を全く知りません。そして学校の中の理屈しか知りません。そんなのが子供に偉そうな顔して世の中語って教育してるってとこが結構な問題じゃないかと思います。
採用条件に教員以外の仕事に5年以上就いた職歴求めるとかできないんだろうか。新卒なんか採用するとロクなことないと思うんですが。
私の同業者もヘタレ率高い
私に言わせれば教育委員会や文部科学省に勤めてる私の同業者自体が、上記で散々ディスった協調性のみで自分の頭では何も考えられない人間なんすよね。多分。
以前にも記事で書きましたが、大企業や私の業界に就職する(しようとする)人って時点で、自分の意思決定を自分でしたことが全くない残念な人である確率が非常に高いんです。というのも、彼らの人生って大体が…
- 周りの人が勉強したら良いことあるよと言うから勉強頑張りました。
- 周りの人が良いというから偏差値高い大学行きました。
- 周りの人が安定していて良いというから、うちの業界に入りました。
みたいな感じです。全部決めたのは実質自分ではなく周りの人。
そんな人達が現状に問題意識持ってマトモに組織の意思決定なんかできるわけない。これも採用方法見直すとかで何とかならないのかな?
ま、大多数の人には決定権そのものがないんで、いろいろ考えても逆にストレス溜まるだけなんですけどね。
彼らも仕事できなくて干された私なんかに、こんなこと言われたくないだろうな。失礼しましたー。m(_ _)m
あと、彼らの名誉のために一言言うなれば、彼らは適切な指示出してくれる上役さえいれば滅茶苦茶優秀です。ハンドル操作が自分でできないだけの話で、搭載してるエンジンは強力ですよ。