ゆるブラックと仕事を生き甲斐にしない人の存在意義

お疲れ様です。窓際投資家です。

ヌルく働く人が嫌いだった

官民のゆるブラックやパープル企業を渡り歩き、散々利用してきた私ですが、

新卒の時はこの世界に違和感しかなかったです。

今ではすっかりやる気を失っていて仕事を生き甲斐にする気なんてないですが、

最初からこうだったわけではないし、望んでこうなったのでもありません。

今いるお役所業界はそうでもないけど、以前勤めていた民間のゆるブラックには、

仕事を生き甲斐にせず、プライベート重視でヌルく働く

というライフスタイルの人が多かったです。

まず、仕事を生き甲斐にするような人は、そもそもあまり入社して来ない。

たまに(間違って?)入ってきても、たちまち社内で浮いてしまってすぐ辞めちゃう。

そういう世界だったんで。

新卒入社したころの私は、こういうのが凄い嫌でした。

まぁ、最初は未来への希望もあったし、多少の上昇志向もありましたからねぇ…(遠くを見る目)

「マミートラック上等」といったスタンスで働くワーママとか、

社員食堂に集まって談笑する働かないおじさんとか、

あの頃は本当に鬱陶しかった。

「ああはなりたくない。」

「こんなのに毅然とした態度取らない会社も問題じゃないのか」

みたいな。

自分は無能だってある程度分かってはいたけど、それでも。いや、そう思っているからこそ、か?

今考えたら、本当に酷い話だったと思います。

何も知らず、何もできず、何の実績もない無能が、自分のこと棚に上げて周囲の人の批判をしてたんだから。

しかも、ものの1年とかでそっち側の人間になったのに、

それを認めたくない気持ちから?退職するまでずっとそんな気持ち持ってました。

我ながらに、本当に呆れてしまいます。

小さい子供抱えて家事育児を相方に丸投げできない状況で働くのがどれだけ大変か、今なら分かります。

ある程度お釣り残して帰宅するようにしないと、帰宅後の家事・育児業務で潰れてしまう。

そう考えたら、あのワーママたちも、貰ってる給料に対してどうか?って話はあるにせよ、可能な範囲で頑張ってはいたんだろうなって今では思うんです。

働かないおじさんにしても、抱えてる事情は本当にいろいろだとその後知りました。

今の私もそうだけど、頑張るメリットが全くない状況に追い込まれてる人も少なくない。

そんな人に

「給料貰ってるんだから、頑張らんかい!」

と言ったところで、それは正論であっても無理筋な話じゃないのか。

あの頃の自分をぶん殴ってやりたい。

人間、自分がその立場を実際に体験してみないと何も分からない、ってことなんだろうな。

「ゆるブラック+仕事を生き甲斐にしない社員」もアリではないか?

あれから20年近く経った今、

ゆるブラック企業?

そんな会社があっても良いんじゃないか。

仕事を生き甲斐にせずに生きる?

それも悪くない。そんな人も胸張っていいんじゃないか。

そういう境地に至っています。

ゆるブラックは資本主義に馴染めない人のシェルター

ゆるブラックの多くは業績がピークアウトしたジリ貧企業です。

一定程度の財務基盤や事業の安定性はあっても、もう伸びシロがなく組織全体として貪欲さを失ってるから、ヌルいんですよね。

経済学の世界では、ゾンビ企業なんて潰れるべき存在でしかありません。

ゾンビ企業が倒産すれば、そこが抱え込んでいた人員や資産やノウハウが、元気な会社に再配置されて有効活用されますからね。

ただ実際には、人員の質なんて一様ではないし、伸び盛りの会社で貪欲さを求められると耐えられない人も少なくない。

私みたいな無能もそうだし、

健康面や家庭に事情を抱えてる人もいるだろうし、

単純に「ガツガツやりたくない」って価値観を持つ人もいるだろうし。

で、現実問題として、そういう人にも何かしら居場所が必要になります。

無理やり働かせる?

→マトモな労働者が足引っ張られる

ナマポを与えておく?

→その税金、誰が払うねん!?

ホームレスになろうが放置しておく?

→無敵の人が量産されますが、治安は大丈夫?

いずれの話も、そこそこ社会的コスト大きいぞ?

専業主婦(主夫)になる手はあるけど、これは相手のある話やしね。

そう考えたら、

この手の人がゆるブラックに勤めながら、

一定程度社会的義務を果たしてくれるんだったら、

もうそれで良くない?

という気はしませんか?

仕事を生き甲斐にしない人は経済版スカベンジャー

ゆるブラックなんてのは、草原に横たわる巨大なゾウの死骸みたいなもの。

仕事を生き甲斐にせずにそこで働く人は、死骸に集まるハゲワシやジャッカルみたいなもの。

最近はそう解釈してます。

さっき言ったように、斜陽化したゆるブラックが資産を抱えていても、社会的にそれが活かされることはない。

仕事を生き甲斐にせずにプライベート重視で働く社員たちは、ゆっくりとレームダック化した企業から栄養を吸い取っていく。

それがプライベートにおいて、生活費や子供の養育費に使われるわけです。

伸び盛りの会社にとってはこのお金が収益源になり、設備投資したり新しい製品の開発ができるわけです。

死んでいたお金が再び蘇るんですよね。

子持ちだったら次世代のプレーヤーも育成されます。

個人の経済的損得で言えば、子育てなんてやらない方がいいに決まってます。

赤ん坊は無一文な上に、何のスキルもないので必要なお金を稼ぐこともできない。

だから赤ん坊はケア労働の対価を払うことができない。

要するに、市場はプレーヤーの育成を評価しないんです。

でも、プレーヤーがいないと市場は縮小・消滅に向かいます。

これは一種の「市場の失敗」というやつですね。

現状、この「市場の失敗」を上手く手当て出来てる国はない。

元々死んでいたお金使ってこれを手当してくれるって、社会的に見てありがたい話だと思わない?

こうやって育った次世代のプレーヤーが、子なしで終わる仕事人間の老後も支える存在になっていくんですよ。

海でクジラが死んで深海に沈めば、数十年に渡って深海生物たちの集合住宅みたいになるんだとか。

ゆるブラック企業の存在意義ってこういうことではないの?

サバンナで死肉を漁るハゲワシやジャッカルといったスカベンジャーは、動物の死を無駄にせずに栄養を使い切って
循環させるという重要な役割を担っています。

ゆるブラックでヌルく働く人の社会的意義ってこれに近いんじゃないかね?

経済版スカベンジャーですよ。

世の中って複雑で深い。

無駄に思えるものが、見えないところで重要な役割果たしていたりするんだよな。

ま、今の私の場合、給料が強制徴収された税金から出ているから、その限りじゃないけどな!

公務員になったことには後悔しかない。

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