「静かな退職」は問題ではなく、受け入れるべき話
お疲れ様です。窓際投資家です。
ブログのタイトル見れば分かる話だけど、私は窓際族。
病気休職したのをきっかけに干されてしまい、時々それなりに忙しい時期はあったりするものの、基本的に残業時間は永遠のゼロ。
今さら頑張ったところで自分の立場や評価が変わる可能性はほぼなく、能力や年齢の面から転職も簡単ではありません。
また、無職になっても困らない程度にはお金も貯めました。
これらの事情から、転職をせずに窓際族続けるのが今の自分にとっては最適解と考え、淡々と人生の消化試合をこなしています。
言われた以上のことはやらないと決めてるし、受け身に徹して自分から仕事を取りに行ったりはしません。
さて、
そんな私の働き方は、最近何かと話題になる
「静かな退職」
ってやつなのかも。
言葉の定義としては、こんな感じか。
静かな退職とは、従業員が積極的な職務参加を控えることで、仕事と私生活のバランスを取ろうとする働き方です。
ポイントとしては、積極的に業務参加しないものの、最低限の仕事や上から言われたことに関しては受け身ながらもちゃんとやること。
その点において単なるサボタージュとは区別されます。
何かと問題視されがちなこの働き方ですが、今後は何らかのペナルティと引き換えに、静かな退職を正面から認めていくべきでは?と思ったりもします。
Contents
静かな退職が広まるのは必然

海外では当たり前
まず、「静かな退職」ってネガティブに捉えられがちです。
周囲の人にしわ寄せが行って迷惑だとか。
実際そうなんですけど、
「言われた以上の過剰な奉仕はやらん」
というスタンスはむしろ日本以外では当たり前ちゃうの?
という気もします。
受け身に徹して仕事取りに行かないのは問題だとしても、組織や上から言われたことをちゃんとやってるんだったら、そこまで悪く言われる筋合いはない気もするんですよね。
日本社会も変わってきた
で、これまで日本人が過剰な奉仕をやってきたのは、
- 終身雇用制度や転職すると大損する年金・退職金制度のせいで簡単には転職ができず、悪い意味で今後のことを考えて周囲に恩を売ろうとしがちだった。
- 年功序列の賃金制度により、将来の収入が人質に取られていた。
- 貰ってる給料以上に働けば高確率で出世でき給料が上がった。
- 専業主婦付きの男性は家に帰ったら寝るだけ。
…そういう諸々の話があってのことやったのかなと思うんです。
そやけど、過剰な奉仕を当たり前なものにしてきた背景ってのが今や崩れてきてます。
終身雇用や年功序列も、まだまだ根強く残ってはいるけど、昔に比べたらかなりマイルドになったし、転職も当たり前になってきて、多くの会社では生え抜きが多数派とは言えない状況です。
最近は専業主婦世帯なんて絶滅危惧種だし、夫婦でフルタイム正社員ってケースも増えました。
もし、そんな夫婦の片方が、
帰って、食って、風呂入って、寝るだけ
…だったら、まぁ…もう片方は間違いなくブチ切れですよね。
現代の共働き夫婦が、家事や育児を夫婦でシェアして家庭回してこうとしたら、静かな退職はむしろ必須と言えます。
うちも正社員共働きですが、やっぱり、ある程度お釣り残して仕事切り上げてこないと、生活全体で考えたら、もう体が持たないです。
そういう背景を考えると、静かな退職の実践者や希望者が増えるのは必然としか思えません。
企業にとっては受け入れるべき現実
残り続ける無茶な人事システム

それなのに、未だに日本の職場の殆どは…
全員が出世を希望していることを前提に、
全員にチャンスを与えて半強制的に出世競争に参加させ、
その結果として、過剰な奉仕が当たり前のように要求される
というシステムを採用してます。
これ、どないよ?…と、私は思います。
家族構成や生活環境
健康状態や体力
職務遂行能力
人生で大切にしたいもの
…全部ひとそれぞれである以上、こんなシステム、かなり無理があると思うんだよな。
みんなが同じように考え、同じような人生歩んでいた、昭和の金太郎飴社会じゃない限り、あんなシステム機能せん思うんやけとな。
みんなを幹部候補として育てる発想は、機会平等と言えば聞こえは良いけど、あまりに非効率だし、従業員によってはそれが迷惑だったりもするんですよね。
「静かな退職」を排除していては人手不足に対応できない

無理したくない人には、安月給と引き換えに相応のポジションを保障して多くを求めず、可能な範囲で会社に貢献してもらう。
その上で、仕事にフルコミットしてくれる人には、相応の高給で報いる。
これからの時代、そういう考え方があってもいい。
というか、ないとダメなんちゃう?
最近は人手不足の業界も多いんやろ?
滅茶苦茶単純な話として、現役世代の絶対数、特に若年層の絶対数が少ないから、一部例外はあるにせよ、全体的な傾向としてこうなんのは必然ですよ。
うちの自治体も採用に苦しんでいて、10年前と比べたら新規採用のスペックは目に見えて落ちました。
そればかりか、妥協に妥協重ねて内定出した人にまで辞退されまくって必要な人数を確保できず、現場で欠員が出ても基本放置される有様です。
こうなってくると、
何らかの事情で仕事にフルコミットできない・したくない人であっても、積極的に受け入れたり退職を思いとどまらせたりして、その能力を利用できる範囲で利用するって発想をしていかないと、組織が持たんと思うんです。
と同時に、この際、無意味な事業や仕事、それを担当する部署やポストをリストラしまくって欲しいところです。
なのに、うちも含め殆どの会社では
他の人と同じ給料払ってるんだから、他の人と同じように働け!
それできんなら来るな!辞めろ!
って態度で、未だに仕事にフルコミットしない人を切り捨てたり拒んだりしてるわけです。
これはかなりマズい。
過剰な奉仕ないと存続できないなら退場せよ

大体ね、従業員の過剰な奉仕がないと成り立たないビジネスしてる会社なんて、さっさと退場すべきちゃうの?
もし仮にそういう会社が提供するサービスや製品が、どうしても世の中にとって必要と言うなら、買う側が正当な対価を支払うべきです。
日本では、
お金を払うなら、売り手に何要求しても良い
って勘違いしてる馬鹿多いけど、
本来、買い手と売り手は対等な関係です。
売り手にも
「そんな値段では売らない」
って取引を拒否したり、サービスを停止したりする自由があります。
例えエッセンシャルワーカーであってもそうだし、エッセンシャルワーカーにも自分の生活や人生があるんです。
従業員守るためにも、会社は買い手に対してもっと強く出るべきだし、それができないなら、存在価値がないということ。
「静かな退職」を認めるその他のメリット

また、こういう事を言うと、
仕事にフルコミットしない人間なんて扱いが難しくて、少々給料下げたとしても割に合わない。
って必ず言う奴がいます。
実際、従業員が金太郎飴だった方が、人事管理は楽やわな。
従業員に払う給料の配分を変えるだけで、総額が変わらないなら、実際にコスト増になりそう。
だけど、よく考えて欲しい。
静かな退職を認めることで削れるコストは給料だけじゃありません。
ざっと思いつくだけで…
採用のハードルを下げられる ⇒ 採用コスト減
モチベないのを前提にできる ⇒ モチベ管理不要
やれそうな仕事だけやれればいい ⇒ 教育訓練コスト減
静かな退職者にとってオーバースペックなものを削ってけば、かなり削れませんか?
もう一度言いますが、みんなを幹部候補として育てる昭和的な発想は、機会平等と言えば聞こえは良いけど、あまりに非効率なんです。
「これを効率的なシステムに変えようよ」ということです。
一部報道によると、既に日本のビジネスパーソンの半分近くが静かな退職をしているそう。
そして現状、これだけのゾンビ社員に1人前の給料が支払われ、こういうオーバースペックな扱いがされているんです。
これをやめるメリットは大きいですよ。
やりようによっては、コスト減と従業員満足度の向上の一石二鳥が狙えませんかね?
というわけで、
「静かな退職」は、企業にとって「解決すべき課題」なんかではありません。
「受け入れて適応すべき現実」だと私は考えます。