入試シーズンですね…
お疲れ様です。窓際投資家です。
あまり更新できてないですが、年も明けました。
うちの家は関係ないですが、ぼちぼち入試シーズン突入といったところですね。
なんかこう…私は毎年この季節になると、心の古傷が痛みます。
というのも、私は入試にあまりいい思い出がないもので。
Contents
不幸のはじまり
今は昔、もう30年近く前のこと。
中学生だった私は、少し頑張って成績が良くなり、
それに味をしめて睡眠不足と疲労でフラフラになるまでガリ勉したら…まぐれもあって…なんと、定期テストで
学年1位に!
普通、ここは喜ぶとこやろ?
でも、このとき私は
ヤバい、やってしまった!
と、担任に渡された成績表を見た瞬間、怖くなったのを今でも鮮明に覚えてます。
というのも、当時の思いとしては…
こんな成績取ってしまったら、同級生からもヘンに持ち上げられてしまうし、両親の態度だって変わってしまう。
でも、元々持って生まれた頭がそこまで良くない自分がこんな成績を維持しようと思ったら、
色んなもの犠牲にしないと無理だぞ?
それってちょっと…。
かといって、自然体でやってて成績落ちたら、落ちた、落ちた、って色んな人に言われるんだろうなぁ…
…というわけで、引くに引けない気持ちになってしまい、その後、頭の悪さや要領の悪さを勉強量でカバーすべく、無理なガリ勉を続けていくことになります。
入試でポンコツ振りを晒す
そんな私がその後どうなったか。
結果だけ言っちゃうと、勉強に費やしたエネルギーの割には最終学歴は大したことありません。
というのも、入試ではむっちゃ弱かったんです。
当時はなぜ?って思ってましたが、今思うに、直前でごぼう抜きされてたんだと思うんです。
入試直前はみんな本気出すやん。
それに対して、私は頭の悪さカバーするためにずっとガリ勉してたんで、入試の直前にラストスパートしろったって、既にアクセスベタ踏み状態でこれ以上加速しないんです。
だから、模擬試験も終わった今ぐらいの直前期にごぼう抜きされて、結果、本番は落ちると。
まぁ…辛かったですね。
私の最終学歴ぐらいの大学だったら、科目数絞って勉強したり、推薦で受けたり、もっとコスパやタイパを重視して行く方法いくらでもあったわけで。
実際、大学時代の同級生の中には、
中高時代にキャッキャウフフしててた人とか、
底辺校からの指定校推薦で入ってきた人とか、
そこら中にいましたから。
もうね、大学入学時は
自分は何をやって来たんだorz
って気持ちになりました。
無理にガリ勉した後遺症
その後は皆さんご存じのとおり…真っ逆さま。。
私の人生は失敗のトラウマとガリ勉の反動で崩れていきます。
もう頑張りたくない
もうどうでも良い
と、なってしまったんです。
勉強以外のことも含めてね。
そんな私は、大学以降、マジで勉強したり何かを頑張ったりしてません。今も。
正確に言えば、気持ちの面も加味したら頑張ってないわけじゃないけど、
「頑張らないと」
って気持ちに反して、何するのにも全く力が入らない感じでしょうか。
就職して社会人になってからも順調に転落。
まぐれで学年1位になってしまったときの嫌な予感はモロに的中した形です。
あんな出来事なかった方が良かったと心底思います。
この経験を通して学んだこと
過ぎたるは猶及ばざるが如し
確かに、勉強は大事。
そこは否定しない。
だけど、何でも度が過ぎれば人生にとって逆効果。
まずはこれですね。
私の知人に健康食品を食べすぎて救急車で運ばれた人がいましたけど、まぁ、理屈としてはそれと同じ。
勉強頑張ったメリットは確かにありましたが、それ以上に失ったものが大きかったです。
私の場合、無理を続けた結果、何かを頑張ることそのものが大嫌いになってしまいました。
それが私のその後の人生に深刻な影響を与えています。
もう一度言いますが、勉強は大事。
だけど、教育費の話を抜きにするにしても、
時間は有限だし、
人間にはキャパシティってものがある以上、
勉強やったら、その分他のことができなくなります。
よって、
勉強によって得られるもの
と
勉強によって失うもの
を天秤にかけることは必ずしないといけません。
私なんぞは、一応そのこと理解はしてたけど、結果的にできませんでした。気が小さくて。
でも、周りからどう思われようと、それをちゃんとすべきだったと思うんですよね。
こんなことになるぐらいなら、
勉強なんかそこそこにして、コスパやタイパを考えつつ、最終的に行くことになった大学を最初から第一志望にして目指してても良かったと思うし、
その上で、学生時代しかできないこと、遊びも含めてもっとしといた方が、長期的に見てプラスだった気がします。
いくら勉強しようと馬鹿は馬鹿
「行動見ていたり、言葉のやりとりして感じる雰囲気と、テストの成績が全く釣り合わない。」
私が中高生時代、同級生からも先生からも、しょっちゅうこう言われました。
まぁ、自分でも自覚ありましたけど、行動や発言から、頭や要領の悪さが滲み出てたんですよね。
で
勉強したところで、物知りになるだけ。
賢くなるわけじゃない。
ってのをそのとき痛感。どこまで行っても自分は馬鹿だなって。
まぁ、物知りになることだって大事だし、その価値を否定するわけじゃないんですけど、でも、賢くなれるわけじゃないと。
なんかこう、賢くてかつ勉強もできる高学歴インフルエンサーや文科省のキャリア官僚の言動見てると、自分が頭良いがゆえに決定的にこのこと分かってないなと感じること、多々あります。
彼らは勉強したら誰でも賢くなれるって強弁してるけど、
私に言わせれば、馬鹿はいくら勉強して物知りになっても、その知識を正しく解釈・利用できません。
これ、ガリ勉無双から転落したからこそ達した境地ですね。
実力以上に学歴を盛ると苦しむことだってある
実力以上に学歴を盛っても、そこまでいいことはない。
後々苦しむことになるケースもある。
今から思えば、中高生時代の私の成績なんか、元々の実力からしたらバブルみたいなもんだったと思うし、
入試で失敗して不本意入学だった最終学歴でさえも、中高時代の貯金で逃げ切った感も否めず、これでさえ実力以上に盛られたものだったのでは?と感じます。
今から思えばね。
さらに言えば、大学出てからメーカーで総合職になったり、役所で地方上級職になったりしましたが、そもそもの地頭が良くない自分には、これらのポジションがオーバースペックだと感じることもしょっちゅう。
もう高卒で現業職にでもなってた方が良かったのでは?
と思ったことも一度や二度ではありません。特に工場で働いていた民間時代は…。
もう一度言うけど、勉強しても物知りになるだけで、賢くなるわけじゃない。
結局はそういう話なんだと感じますね。
賢さと学力には強い正の相関はあるものの、
表面的な学歴や学力って、家庭環境や親のアプローチだったりとか、教育費の賢い投下とか、そういうのである程度馬鹿に対しても盛ることができます。
で、世間の親を見ていると、子供の学歴盛るのに必死。
そやけど、そんなことやったってあまり良いことはないし、下手をすると子供が苦しむことになるかもしれないってのは自分の経験から言いたいところですね。
確かに、学歴等の分かり易いスペックがしっかりしてると、就職活動は有利です。
だから、盛ることに全く意味がないとは言いません。
でも、人生全体で長期的に見たらどうでしょう?
私はその後、一気にメッキが剥がれて落ちぶれました。
周囲見てても、ハリボテで実力伴ってない高学歴なんかは、次第にメッキが剥がれて落ちぶれていきます。
中身のない人間が、高学歴の一点突破でどうにかできるほど、サラリーマンの世界は甘くないです。
そして、自分で体験して骨身に染みてる話として、
「期待外れ」と蔑まれて、
やがて落ちぶれていく過程ってのは、
本当に辛いものです。
最初は暖かく会社に迎えられても、だんだんに、
「あ、コイツ、アカンわ!」
ってなって、どんどん塩対応になってく。
総合職の同期の間では
「おい、アイツ、あんな扱い受けてるで。」
って噂になる。
これ、キツいですよ?
そんなことになるぐらいなら、最初から分相応のポジションにいた方が、結果は同じでも絶対に幸せです。
結局、背伸びして分不相応な椅子に座ったところで、人は幸せにはなれないってことなんですよ。
少なくとも私は、自分の子供をこんな目に遭わせたくないです。
「勉強しておけは良かった」に思うこと
私は公私ともにこういうやりとりがよくあります。
学生時代、もっと勉強しておけば良かったな…
大人になった今、そう言えるアンタはマトモだし幸せやで。
俺なんか、真逆のこと思っててこのザマや。
「もっと勉強しとけば…」って言えるってことは…
ほどほどにやってきて、全力でしなかったことに少し後悔が残ってる感じなんかな?
でもね、人生全体で見たら、それぐらいが丁度良いのでは?
こういう思いがあるからこそ、社会人になってからでも、仕事頑張れてスキルアップにも励めるんちゃうかな?
私なんぞは、真逆のこと言いながら、
仕事で手を抜くわ、
スキルアップなんかやろうともしないわ
…なかなか酷いものです。
努力や勉強ってものに、もう拒食症レベルの吐き気を感じるもん!
まぁね、力任せに努力して正面突破を図るやり方が常に正しいとは私は思わないです。
でもね、困難に直面した時にそれを乗り越えるための引き出し、これは一つでも多い方が良いじゃないですか。
それに、
「正攻法」って言葉があるように、何でもまずは正面から頑張ってみるべきで、
それがダメなときに善後策として「迂回」や「回避」を検討するってのが、
効率の面から言ってもセオリーのハズ。
私の場合、この記事に書いたトラウマで、この「正攻法」っていうオプションを失ってしまいました。
世間の子供や若い人達には、私みたいになって欲しくないですね。
そういう意味では、学生時代の勉強なんぞ、
勉強や努力が嫌いにならないようにするのが最優先でいいんじゃないか。
先々の人生のこと考えたら、目先の成績や入試の結果なんか二の次で良いんじゃないか。
そう思っちゃう窓際族でありました。