⑫転職→結婚→休職

窓際族に落ちぶれるまでの物語12回目。

前回は⑪もう早期リタイアするしかないです。

転職先は公益系パープル企業

そして、30の時に出身地の自治体公益系パープル企業にUターン転職しました。地元に帰って来れたのは滅茶苦茶うれしかったです。

実家通いで職場に通えたので余計なお金がかからなくなったし、資産が3000万に迫る勢いになってきたことでジワジワ福利効果も効いてきていました。

なんで、転職後の3年ほどで結構貯蓄をブーストできた感じです。

でも結構ストレスある生活だった

仕事はというと…

桜を指さす男女
そこまで期待はしていなかったけど…

まあ、想像はしていたし想定内と言えば想定内ですが、転職先でも正直言って色々嫌なこともありました。これは今でもそうです。

特に、コスト意識ゼロのお節介おじさんが、書類の決裁取ったりするときに「これにこだわってどうすんの?」って思うような指摘繰り返してそのたびに修正させられる…これ正直ハラワタ煮えくり返るし堪えました。いわゆる、非営利組織あるあるのグチャラーの存在はもう勘弁してほしかったな。

あと、一般の企業ではあまりない感覚だと思うのですが、「30代の中途採用であろうが新人は新人」と思っている人が多くて、それも地味にストレスでした。良かれと思ってなんでしょうが、1から10までクチャクチャ言われるんです。

色々言いたいことはあったけど、思考回路一部オフにしてみんな飲み込みながらやっていた感じです。

そして結婚した

そして、転職して2年目に結婚。これもめでたい話なんですけど、違う環境で育ってきた男女が一つ屋根の下で生活すると慣れないうちは結構なストレスです。金銭感覚の違いや整理整頓の仕方をはじめ、些細な違いや違和感の積み重ねが結構きついのはきつかったです。

劣悪な環境にいたわけではないが…

こう書いてしまうと悪い環境だったのかって話には見えますが、第三者的にはそこまで劣悪な環境にいたとは思えません。問題はあったにせよ、「誰だって私生活や職場で何かしら問題抱えている」という理屈で収まる範囲の話だったはず。職場環境も結婚生活も。

自分でもストレスを受けているという認識はそこまでなかったのですが、完全結果論ですが実際はそうではなかったようです。このあと悲劇が起きます。全然許容範囲じゃなかった。

休職する

ホワイト部署に異動したが…

3年最初の部署で働いた後に異動しました。行先の部署は結構当たりくじ引いた感じで、仕事はそんなに忙しくないし、周りも結構いい人が多くて配属された時はすごいうれしかったです。

これで3年ぐらい楽できるわ~(^^♪

完全にリラックスしてたのですが、配属早々謎の頭痛に悩まされるようになり、病院行って検査しても何も異常が見つからない。経過観察しましょうとなるんですが、割れんばかりに頭が痛くて仕事どころじゃないという状況に。

そういう状態でだましだまし1~2か月働いた後、ある日突然体がおかしくなりました(具体的には言えません)。

別の診療科にかかったものの、医者の技量に問題があったのか対症療法さえできない。病院変えても一緒。

これで休職することになりました。

診断書
ここでも不運が襲ってきた

余談ですが、この一件があってから私は医者や病院を疑ってかかるようになりました。医療の世界って外の人が思っているよりずっといい加減なんですよね。正直、びっくりしました。病院や医者は評判をよく調べてからかからないとダメですね。

フタ開けてみたら良くある病気だったんですが、最初にかかった医者に問題があったせいで症状が拗れた感じです。これ、細々とだけど今も治療中です。あのヤブ医者にされたことは一生忘れない。

社会不適合者であることを改めて認識

病気になった原因は今をもって良くわかりませんが、ストレスから解放されたのがきっかけで病気になる人もいるようなので、そのパターンだったのかなぁと今では思っています。

あと、改めて分かったのが、私は他人や組織の都合に合わせて行動したり何か決めるにあたって歩み寄ったりってのがかなり苦手だということ。そして、無理に合わせようと行動してるとべらぼうなストレスが心身にかかっているらしい。

自分の気持ちに嘘ついてマトモな普通の人間演じてたら大変なことになるんだな。これは他の人もよーく覚えておいた方が良いです。似たような話多そうだからね。

こうして、せっかくの転職先でも故障者リストに入るという形で早々に躓いてしまいました。これで少しは希望を持っていたサラリーマンとしての未来を完全に諦めることになりました。

つづく

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