教育費は敢えて抑え気味に。ガリ勉もさせない。
お疲れ様です。
うちの子はまだ小さくて、教育だの受験だのなんて話はかなり先の話です。
正直これからどうなってくのか分からないし、具体的にどうするとかも決めてないんですけど、二つだけ決めてることがあります。
教育費はそこそこで良い
ガリ勉はさせない
現時点では、子供に高学歴エリートになって欲しいなんて、あんまり思ってないんですよね。
まぁ、自然体で高学歴エリートになれるんなら、なってしまった方が良いに決まってるとは思います。
だけど、高額な教育費を払って子供にガリ勉させてまで、そっち目指しても仕方がないんじゃないか…そんな気がしてます。
そもそも遺伝の影響が大きい
これね、私の親族見ていても、同級生見ていても、そして、職場の人の子供の話聞いていても、めちゃくちゃ思うんです。
できる子は放置してても勝手に伸びるし、
逆に、
ダメな奴にいくらコストかけたって結局ダメ
…ってところはあるのかなぁと。
実際、最近の研究では、人の知能、学歴、社会的地位や収入って、遺伝でかなりの部分が決まると分かっているそうです。
「こころは空白の石板(ブランク・スレート)」というのがリベラルの立場で、子どもはみな平等に生まれてくるが、環境によって知能の差が生じると考える。日本でも「親が高収入だと子どもの学歴が高い(貧しい家庭の子どもは良い教育を受けることができない)」といわれるが、これが典型的な「環境決定論」だ。
ところが行動遺伝学の双生児研究などによって、「知能が環境のみによって決まる」という仮説は完膚なきまでに否定されてしまった。言語性知能は家庭環境の影響を強く受けるものの、それを除けば、一般知能の8割、論理的推論能力の7割が遺伝で説明できるなど、認知能力における遺伝の影響はきわめて大きいのだ。
「相関関係があるからといって因果関係があるとはかぎらない」というのは統計学の基本だ。
アイスクリームの売上と水死者の数を比べると、どちらも季節によって同じように増減する。だがこの相関関係から、「アイスクリームが水死の原因になる」という因果関係を導き出すひとはいないだろう。アイスクリームがよく売れるのは夏で、海やプールの事故が起きるのも多くは夏だ。「夏の暑さ」という共通の原因によって、アイスクリームと水死者の相関関係が生じるのだ。
じつは、親の収入と子どもの学歴にも同様の「疑似相関」がある。知能が遺伝するという事実を受け入れるならば、「知能の高い親は社会的に成功し、同時に遺伝によって子どもは高学歴になる」という因果関係ですっきり説明できるのだ。
橘玲 「言ってはいけない残酷すぎる真実」 より
一つ注釈しておきますが、ここで言う「遺伝」ってのは、
親が賢ければ子供も賢い
親が馬鹿なら子供も馬鹿
という意味じゃないです。
「持って生まれた遺伝情報」と解釈してください。
皆さんご存じのように、受精卵ができるときに両親の染色体がランダムに組み合わさって子供の遺伝情報は形作られます。
それゆえに、親に似る一定の傾向はあるものの、必ずしも親に似るとは限りません。
同じ一組の夫婦から、天才から知的障害持ちまで、実に多様なキャラの子供が生まれてくる可能性があることはご留意願いたい。
ただ…養子に出されて違う家庭で育てられた一卵性双生児を追跡する研究の結果によると、受精する時のガチャでかなりの割合が決まってしまうそうです。
同時に、この「かなりの割合」というのの具体的なパーセンテージが、時代や国によって変わることも知られています。
例えば、現代のアメリカで環境と遺伝はおおよそ半々。戦前のアメリカだと環境7割で遺伝は3割だそうです。
皆さんご存じのように、アメリカに限らず、海外行くと義務教育があってないようなものになってるなんて話は序の口。
先進国でさえ普通に子供の路上生活者がいたりするし、結構な割合の子供が日本では考えられないような劣悪な環境で育てられています。
そんな国でさえも遺伝の影響が強いという研究結果が出るわけです。
翻って日本はというと…そんな環境で育つ子供がほとんどおらず、海外に比べれば遥かにみんな平等にチャンスが与えられています。
これは良い事なんだろうけど、そういう環境であるが故に、よりダイレクトに遺伝の影響が出るんじゃなかろうか。
教育で下駄を履いても効果は一時的
確かに、受験対策に強い塾や予備校に通わせたり、優秀な家庭教師を付けたり、相性の良い私学に通わせたりすると、勉強はできるようになるのかもしれません。
そして、その結果として受験に有利になり、良い大学出れば就職に有利になるわけです。
そして、日本は何だかんだで新卒採用偏重とか終身雇用制度を引きずってますから、新卒で良い所に入れると生涯賃金の面でかなり有利になりますよね。
まぁ…これは事実だと思います。
だから、学生時代に受験対策にお金かけたりガリ勉したりするのにも、一定の合理性はあると私も思います。
ただなぁ…社会人を20年近くやった感想を言わせてもらうと…
まず、塾、家庭教師に進学校の私学…何やったとしても、そのアプローチとの相性が良くなかったり、そもそも本人に資質がなかったりしたら、効果出ないです。
要は投資に見合った効果が出るかどうかが怪しいし、やってみないと分からない。
そして、効果があって成績がグンと上がったとしても、持って生まれたものが変わる訳じゃない。
そういう相性の良い環境が、高校⇒大学⇒社会人…と、その後の人生に渡ってずーっと続くなら良いけど、基本的にはそんなのあり得なくて、
人間、環境が変わると、結局元々持ってるセットポジションに戻るんですよね。
「やればできる」は遺伝学的には錯覚 「子どもには無限の可能性がある」と考えない方が良い心理学的理由
(前略)
たとえばアメリカは、1965年にヘッド・スタート計画という就学前の乳幼児の保育プログラムをスタートさせ、早期教育にお金をかけてきたんですが、ヘッド・スタート計画の成果に関する調査からわかることは、その教育を受けている時はIQが高まるが、しばらくすると元に戻る、ということでした。
(中略)
パーソナリティーの5割近くは遺伝で説明できて、神経質な人は訓練して神経質になったわけじゃないし、外向的な人は訓練して外向的になったわけじゃない。それを『非認知能力』とか言われると、ある環境にさらされていくと、みんなが大人が理想とする“いい子”に変わっていくかのように錯覚する。だけど、ヘッド・スタートが示すとおり、子どもにある環境を与えれば、その時はそこに適応するけど、独り立ちさせたら元のセットポイントに戻るんです。形状記憶合金みたいに
引用:「やればできる」は遺伝学的には錯覚 「子どもには無限の可能性がある」と考えない方が良い心理学的理由 (msn.com)
う~ん…わざわざお金かけてまで下駄履く意味って…??
もちろんね、受験とか就職活動とか、そういう大事な時にワンポイントでそうやって下駄を履く意味もあるとは思いますよ?
実力以上の学校や会社に入れたりするわけだから。
そして、日本の就職活動で一番モノを言うのは学校名だし、この国は終身雇用色が強くて入社さえできれば簡単にはクビにならんわけやし。
ただ、そうは言っても、良い会社に就職して勝ち組だと思ってても、その後も人生長いしずっと競争は続くんです。
死ぬまで勉強や努力は必要やしね。
そうやって実力以上のところに入ったとしても、入った後は当然、自分よりレベル高い人との競争に晒されます。
長い目で見たら、絶対に落ちぶれていきますよ。そういう人。
現にこういう人、山ほど見ました。
「散々教育費かけて、ガリ勉してこの程度か」
みたいな人生になってる人、私が勤めるお役所にも山ほどいます。(私も他人様からはそう見られてそう…)
その逆も然り。
下駄を履いていなかったせいで、実力以下の学校や企業に入った人。
一時的に不遇な立場に置かれようと、元々持っているものが良いのなら、必ずどこかで頭角現わしてきます。
こういう人も、山ほど見ました。
だったら、無理して高額な教育費かけたり、子供に負担かけてガリ勉させたりなんかしなくて良いのでは?と私は思うんですよ。
あんまり子供に嫌な思いをさせると、勉強することや努力することが嫌いになってしまったり、好奇心失ってしまうケースもままあるし、こうなったら元も子もない。
それに、成長期に睡眠時間を削る健康リスクとかも大きそう…。
親としてやりたいこと
適正を見極めた上で、社会の中で座れそうな椅子を一緒に探していく。
そしてその椅子を取りにいく手伝いをする。
これが、私が思う親の仕事かなぁ。
この過程でお金が必要なら使うべきだと思うし、この流れで検討した結果が「受験戦争ガチ勢」だったら、それこそ突っ込めるリソース全部突っ込んで阿修羅みたいに受験戦争戦うべきだと思いますよ。
ただ、そういう判断になるケースってあまり多くはないと思うし、
世間見ていると、そもそも論として、こういうアプローチでモノ考えてる親がどれだけいるのか?とも思ってしまう。
何も考えずに闇雲にお金を投下していたり、子供の適正無視して親が正しいと信じる道を歩ませようとしたり。
むしろ、無自覚にそういうことやってる奴が多数派ちゃうんかなぁ??
周囲を見ていてあるあるなんが、
勉強できない子供をなんとかしようとして、
塾に通わせ、
家庭教師も付けて、
となり、重課金状態に陥った挙句「結局ダメでした」となり、
「勉強しろ」と親から頭ごなしに言われ続けたせいで、
子供が何かを頑張ることそのものが嫌になって気持ちが折れてしまったなんて話。
お金をドブに捨てた挙句、子供にダメージ与えてるんですよ。
これ、同級生や親戚の事例で結構見ましたけど、こういうことやる親ってマジで最低だし馬鹿だとも思いますよ。
勉強に適正ないってさっさと見切り付けて、別の道歩めないか考えた方がよっぽど生産的じゃないのかね。
絶対にこんな親にはなりたくないとは思うものの、自分も10年後ぐらいにそうなってるかも?と思うと恐ろしいです。
社会人として致命的な欠陥を抱えながらも、ゲリラ戦やりながら泥臭く生きて来た私のブログでは、
「やればできる」は幻想。
人間、持って生まれたものを上手に使って生きるしかない。
と繰り返し主張してきましたが、余所の子にしても、うちの子にしてもこれは同じだということです。
基本、「できないものをできるように」って考えはコスパが悪いし生産的じゃない。(ある程度は必要だろうけど…)
ということで、うちは肩肘張らずにのんびり行こうと思ってます。
親の気持ちに余裕があると、それも子供のメンタルに良さそうやしね。