「人生詰んだ」と思った日から15年
お疲れ様です。窓際投資家です。
今年もはや三月に突入。
早いもんです。
我々社畜にとっては春は人事の季節。
民間企業だったら、丁度今ぐらいの時期に来期の人事の内示が出ることも多いんじゃないでしょうか。
(ちなみに、お役所業界ではギリギリまで内示がない。何かの嫌がらせみたいです。)
私なんかは使えない人間なので、新卒で就職してからこの方、人事異動絡みでは全く良い思い出がありません。
特に民間時代なんかは、お役所と違って慣例ガチガチの予定調和人事とはいかなかったので、
「会社から何されるか分からない」
と常に怯えていました。
その中でも今ぐらいの時期は、毎年、来期のことが気が気じゃなくて仕事が手につかなかったです。
私の一番嫌な思い出は…新卒で配属された部署から僅か1年で放出された時だろうな…。(もちろん左遷な!)
あの時は本当に
「人生詰んだ」
って思いました。
でも、15年経った今は、
「あれがあったから、今がある」
って思えてます。これも結果論でしかない部分もあるんだろうけど。
連日電車にダイブする人が後絶たないようなご時世だし、3月のこの時期だし、丁度いいネタじゃないかと思うので、今日はその話にお付き合い願いたい。
僅か1年でパワハラの末に戦力外!
まぁ、この話、かなり前に一度記事にしてるんですけどね。
良かったら読んでください。
端的に言うとですね…
初期配属で当たった所属長&教育担当の人が生理的にダメで、そのせいで彼らとマトモにコミュニケーション取れなかったんですよね。
で、それがきっかけで、仕事でありとあらゆる問題を起こし、そのことが所属長のパワハラを誘発してしまいました。
それで、僅か1年でその部署にいられなくなりました。
少し突っ込んで書いていくと…
まず、「この人達無理」って感情が強すぎて、所属長や教育担当と接するの自体が滅茶苦茶億劫になってしまいました。
これが全ての始まり。
新卒だから当然真っ白な状態ですけど、ただでさえ私はコミュ障ですから、こんなんじゃ分からないことあっても何も聞けません。
意を決して聞きに行くこともあったにはありました。
だけど、
「人は思ったように思われる」
って言葉もありますけど、これはマジでそう。
口に出さなくても気持ちが伝わってしまってたようで、邪険にされることが多かったです。
だから余計に聞くのが億劫に。
こんな状態で働くんで、当然、色んな問題起こしたし失敗もやらかしました。
そのたびに所属長から罵声浴びせられて、オフィスのど真ん中で長時間に渡る公開処刑です。
この「長時間」ってのがヤバくて、最低でも1時間。
長いと丸一日。
何回も繰り返すから分かるまで言わないとアカンやろ!
今後のこと考えてやってんだよ!
という、所属長なりの理屈はあったらしいですが…。
これがもう毎日です。
当然、それだけ公開処刑に時間奪われると、担当業務なんか進みません。
そうやって進捗が悪くなったことをまた、同じように公開処刑でドヤされました。
「全然進んでないやないか、何日かかってるんだ!?」(←いやいや、アンタの公開説教が異常に長いからやろ!)
もう、完全に負のループです。
最後は見かねた部長が人事と掛け合い、負担の軽い部署に異動(=左遷)と相成りました。
言うまでもなく、原因作ったのは私です。
だけど、当時の所属長や教育担当がしてきたことに対しては、今考えても「これはないよなぁ?」とも思います。
同じこと今やったらパワハラ認定食らって完全アウトですしね。
あの日のこと
そして、その異動の内示があったのが、15年前の丁度今ぐらい。
2009年3月頭。
部長に呼び出され、異動を言い渡されました。
社会人経験浅い自分にも、左遷であることはすぐに分かりました。
最初に頭に浮かんだのは…
終わった。この会社にはもう、自分の居場所はないってことだよな?
これからどうしよう?家帰ったら両親に何て言えばいいん?
たった1年でこんなことになったなんて聞いたことない…
これ、絶対に同期の間で陰でネタにされるよな…orz
という思いだったと記憶してます。
普通だったらここで転職考えるかもしれませんが、折悪く丁度このころはリーマンショックの最悪期でした。
経済が凍り付いて全くものが売れないので、自分の勤め先も含むメーカーの多くは生産ライン止めてたし、そんな状況なんで非正規雇用なんてソッコーで全員クビ。
正社員ならまだマシだけど、それでも、工場勤務は出勤しても仕事がないので強制的に有給を使わせたりしてました。
採用の方を見ると、急激に業績悪化した企業が新卒に一度出した内定を入社直前に取り消しまくって社会問題になってました。
そんな状況で脛に傷のある第二新卒が簡単に転職なんかできるハズもなく、辞めたくても辞められず、耐え難きを耐えて恥を忍んで会社にしがみつく決断をせざるを得ませんでした。
窓際族を何年もやってると、こういうのにもある程度慣れる部分ありますが、まだ先が長い20代でもあったし、本当に辛かったです。
「普通の人生」をスッパリ諦めるきっかけに
一応ですが、その後も何とかしようと頑張りはしましたよ?
でも、結構なリソース突っ込んだけど無理でした。
紆余曲折あって、こう気づいて、そしてスパッと割り切ることにしたんですよ。
自分はそもそも普通の人と同じようにサラリーマンやれる資質はない。
頑張ってもできないことを頑張って人生のリソースすり潰してしまっては勿体ない。
自分にできそうな別のことを頑張って何とか生きられるように持って行こう。
頭の作りが普通じゃないなら、それに合わせた普通じゃない生き方が必要じゃないのか。
普通の人と比べて思考回路がズレてるんだろうなと思うことも多かったし、サラリーマンとしての適正そのものがないんだろうなと。
その意味では、社会人1年目のパワハラがあろうがなかろうが、長い目で見れば同じ結果になっていたような気もします。
結果論だとは思うけど、この考え方で私の人生は多少好転した気がしてます。
未だに私は職場では間違いなく惨めな思いしてるし、生活全体で見ても余裕ゼロで綱渡り感も満載。
負け組ド底辺公務員に過ぎなくて社会的地位なんてない。
夫婦仲が良いとも言えません。
お育ちや価値観や金銭感覚に乖離が大きいせいで、しょっちゅう衝突してます。
衝突を繰り返しながらもどうにか一定の形を保っているような感じです。
私なんぞは、第三者的には、キラキラ感やリア充感からは程遠い、いつもバタバタしてて冴えなくてキモいアラフォーに過ぎません。
…ではあるけど、
イジメられたり受験に失敗したりして青春なんかなかった学生時代、
この記事でネタにしたような絶望と暗黒の20代、
そして、病気に倒れた30代前半。
…そういう過去に比べたら、今は遥かにマシです。
「人生の中で今が一番幸せ」(←この言葉だけ見たらリア充感満載。)
ってのは言っていい。
15年前のあの日が、今こうなるきっかけだったと後になって思えます。
ただ、別に、考え方を変えようと努力したとかではないです。
色んな厳しい現実突きつけられて、勝手に考え方が変わったんです。
「頑張ってもダメでした」という数々の現実。
色んな人から山ほど浴びせられた「お前はズレてる」という言葉。
こんな状態で何年もやってて、挙句の果てに体壊したんじゃ(その原因全てが仕事のストレスという訳ではないが…)考え方も変わりますって。
どん底の人に伝えたいこと
大学を卒業して、どこぞの会社に就職。
アラサーで結婚して子供持つ。
サラリーマンとしてバリバリと活躍して、管理職程度までは出世もする。
住宅ローン組んでマイホーム買い、子供を大学まで行かせる。
定年まで会社を勤め上げ、子供や孫に囲まれて余生を過ごす。
…そういう「普通の人生」の勝ち組が一概にアカンと思いません。
私自身、未だにそういうの見て「羨ましい」と思うことも多いです。
というか、できることなら自分もそうなりたかったけど、それが叶わなかったから今こうしてます。
ただ、職場の同僚とか見てると、かつて自分が目指していたハズの「普通の人生」を順調に歩みつつも、ちっとも幸せそうに見えない人が結構目につくのも確かです。
負け組のハズの私がそれなりの幸福度で生きてて、勝ち組のハズの彼らが眉間にしわ寄せて生きてる訳です。
分からんもんだなぁ…と思います。
多分、そういう人って、
出世して社会的地位を手に入れたり、
立派な家や配偶者を手に入れたり、
子供を高学歴にしたり、
そういう形で「普通の人生」の勝ち組になることが目的になってしまってて、本来、それらは人生の幸福度を上げる手段のひとつに過ぎないということを見失ってるんじゃないかなと思ったりします。
周りからどう思われるかばかり気にして、自分の気持ちに嘘ついて生きてる部分あるんちゃうかな。
同じ社畜でも、自分に嘘つかずに社畜やってる人はもっと良い顔してますよ。
まぁ、負け組の分際で偉そうなことは言えないと思いますが、今、「人生詰んだ」と思ってる人にこれだけは言っておきたい。
- 他人の目は気にしない。他人と比べちゃいけない。
- 自分の気持ちに嘘ついちゃいけない。特に「本当はこんなことしたくない」という気持ちは絶対に無視しちゃいけない。
- 何とかしようと藻掻いていたら、運が向いてくるケースも多い。
- 上手く行ってないと思うなら、リスク承知で何かを根本的に変えるべき。一定の努力してダメならスッパリと諦める。
では、今日はこの辺で。