「自由」や「正しさ」は人を幸せにするとは限らない
こんにちは、そしてこんばんは。窓際投資家です。
次の日曜は選挙ですね。
例によって、全く投票したい政党や候補がいない状況ですが、少しここ最近の世の中を眺めて思ったことを書いていきたいです。
縛られない自由な立場を目指して世捨て人になるべく頑張っている私ですが、同時にこの記事のタイトルみたいなことも思ったりします。
Contents
現代の子育てはすげーキツい
赤子を抱えている私ですが、端的に言えばもの物凄いキツいです。
仕事して疲れて家に帰ったら、赤子の泣き声がBGMになってるような環境です。
甘えん坊なのか、立ち去るだけで泣かれます。
だから家事も進みません。
そして、パソコンやスマホの画面見るだけで泣き始めるので、事務作業的なこともほぼできません。
小さな赤子に大きな召使が二人、振り回されまくっているシュールな光景が広がっています。
昔、パチンコのCMで
「仕事が終わったら、仕事だせ!」
って必殺仕事人のパチ台のCMやってたけど、まさにそれ。
昭和の子育てはもっと楽だった?
自分達が小さい時はうちの親もこんなのこなしてたのか…と思うと、めっちゃ親が偉大に思えてきます。
ただ…私なんかは2歳ぐらいから断片的な記憶残ってますが、今の自分達ほどもヒーヒー言いながらやってたのか??というと、そうでもなかったような。
よくよく考えてみたら、昭和と令和で子育ての環境は激変してるんですよね。
昭和 | 令和 |
---|---|
母親は専業主婦で育児に専念できる | 共働きで夫婦ともに仕事で削られている |
夫婦どちらかの両親と同居or近居していて助けてもらえる | 核家族で夫婦どちらの親からも支援なし |
何かあっても近所の人が助けてくれる | 近所との関わり自体がない |
例えば、私の実家なんかは祖父母と同居だったし、母親は専業主婦でした。
もう、これだけで負担感は全然違うと思います。
それに、先祖代々同じ土地に住んでる人が多いエリアだったので、近所の人もみんな顔見知りです。
うちの家はあんまりなかったけど、近所の人に子供を預かってもらったりとかも多かったと聞きます。
今より大分楽だったんだろうなぁ…と想像します。
「自由」と「正しさ」のせいで子育てが無理ゲーに
ただ…上で挙げた表の左側みたいな環境って、確かに子育ては楽だと思いますが…とてもそういう環境を現代社会で再現できるとは思いません。
まず、国としては女性の社会進出を後押しする政策を打ち続けています。
そりゃ、男女関係なく「働きたい」と思う人や能力がある人が好きなように働いてキャリアを重ねられるようにすることは、政策としては間違いなく「正しい」です。
働くことで経済的に自立しておけば、結婚生活で何か揉めても強く出ることができる「自由」も手に入ります。
今時、義両親との同居ないしは近居なんて、特に都市部では殆どの人が嫌がります。
確かに、同居していると助けてもらえることが多いのも確かでしょうが、子育てその他家庭の運営に口も出されます。
「親は親、自分達は自分達。口を出されるのは苦痛だ。」
…その考えは「正しい」し、その結果、義両親と距離を置けば「自由」は手に入ります。
近所の人にしても同じです。
「赤の他人に色々詮索されたくない。下手に深い付き合いになると邪魔くさいことになる。人は人。自分は自分だ。」
これも確かにそうで、ある程度距離を取っておいた方が精神衛生が良かったりもすると思います。
近所の人の名前も知らないって状況も、「正しさ」と「自由」を求めた結果だと思います。
個々人が自立して好きに生きられるのは確かに素晴らしいことです。
そして、その素晴らしさ故に、もう昔のやり方になんて戻せないんです。
だけど、みんなが好きに行動しだすと、周囲の誰か(配偶者も含む)と力を合わせないとできないことが一切できなくなります。
その他、何かの事情で負担がかかる状況になった時、周囲の人との助け合い(悪く言えば相互依存)が消滅してるんで、全て自分で抱え込まないといけなくなります。
その一例が無理ゲー化した子育てなんだろうなぁ。
「自由」と「正しさ」が首を絞める
私が思うに、現代人って「正しさ」や「自由」を追い求めた結果、自分の首を絞めてしまってるように思うんですよね。
私には直接関係ない話だけど、似たような話は山ほどあったりします。
幸福度を下げる自由恋愛
例えば、お見合い結婚が減って、恋愛結婚が増えた話なんかもそうですね。
親が決めた相手と結婚するのが当たり前の社会なんて、現代っ子の感覚からしたら人権侵害が公然と行われていた社会と言っても良いと思います。
それがやめになって、自分の好きな人と結婚できる。
…良いじゃないですか。ナイスですねぇ…!
でも、蓋を開けてみたら、自由恋愛社会は一部の恋愛強者には有利に働いたものの、大多数の普通の人にとっては「結婚したいけど結婚できない」社会になってしまいました。
2022年の男女共同参画白書によると、20代で結婚意思がないのは女性14%、男性19.3%に過ぎません。
でも、20代男性の40%、女性の25%がデート経験すらない…という有様です。
そして、苦難を乗り越えて恋愛結婚した夫婦のその後も厳しいようです。
シーナ・アイエンガー著の「選択の科学」によると、恋愛結婚した夫婦の幸福度って時間とともに急落するらしく、結婚後10年でお見合い結婚した夫婦に逆転されるのだとか。
人間、色々な選択肢が与えられて、
「好きに選んだら良いよ」
と言われると、そもそも選べなくなってしまう。
(この結果が晩婚化だろう)
そして、選んだ後に何か不満があると
「別の選択肢を取っておけば良かった」
と、ヘンに他の選択肢が目に入って後悔してしまうものだったりもします。
(離婚率も上がってるよね?)
恋愛結婚がメインの社会ってのは、近代的・現代的な価値観や人権という面から見れば「自由」で「正しい」。
でもそれが全く人を幸せにしていないんですよね。
身分制社会の人って結構幸せだったらしい?
逆に、人間、不思議なもので選択肢が限られていて、
そもそも選択に迷うこともないし、他の選択肢が目に入ることもない
って環境だった方が、何も考えなくていい分、案外楽しく幸せに暮らしていたりもするものです。
その代表例かも知れないのが、江戸時代の日本人かもしれません。
ご存じのように、あの時代って今では憲法で保障されている
- 法の下の平等
- 居住・移転の自由
- 職業選択の自由
このあたりはガン無視です。
現代的な価値観からすると、ハッキリ言ってもうあり得ないですよ。
だけど、意外や意外。当時の人の幸福度は高かったようです。
幕末にアメリカの初代駐日公使として日本にやってきたタウンセント・ハリスなんかは、当時の庶民を見てこんな言葉を残しています。
彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。—-これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以(ゆえん)であるかどうか、疑わしくなる。
「こういうものだ」と決まっていた方がいっそ楽だし幸せ
…そういうニーズがあるから、東アジアでは儒教みたいな思想が広く受け入れられたのかも知れないなぁ…なんて思います。
「権力者にとって都合が良かったから奨励された」って話ももちろんあるとは思いますが…。
「自由」と「正しさ」にもコストは存在する
まぁ…結局は「自由」とか「正しさ」って、一見キラキラしていて聞こえは良いけど、
タダでは手に入りませんよ
ということなんだろう。
どうしても追い求めたいというなら、相応のコストは負担すべきなんでしょうね。
例えば、話を巻き戻しますが、子育ての例で行くと…
福祉って
自助、共助、公助
の3本柱と言われますが、「自由」や「正しさ」を追い求めたせいで「共助」が完全に崩壊していますよね。
どうしても今のやり方で社会を回していきたいなら、
- 子持ち家庭にしわ寄せする
- 役所に頑張ってもらう
のどっちかしかないわけです。
①の選択取れば、間違いなく少子化は加速しますが、「それでも良い」と社会的コンセンサスが取れるのなら良いんじゃないですか?
個人的には、85歳以上の高齢者の医療費を保険適用外にして、そのお金を回す形で②の案で行ったらどうかな?と思うけど…
でも、そんな政策訴えたら、その政治家は選挙に落ちますね。
次善策としては、コストパフォーマンスを無視して「自由」や「正しさ」を絶対視する路線を少し修正できないのかなぁなんて思ったりもします。
それも難しいのかなぁ?
上にも若干書きましたが、この手の話の厄介なところは「正しい」打ち手であるが故に、
「やってみたけど、幸福度が返って下がってしまった」
と分かったからと言って、元の状態に戻せないということ。
上で挙げた事例なんてみんなそうじゃないですか。
例えば、今更江戸時代の身分制社会になんて絶対に戻せないでしょ?
最近は
「選択的夫婦別姓」を導入したらどうか?
みたいな話もあります。
私だって、「選択的」で当事者がどうするのか選べるなら、導入するのが「正しい」し「自由」で良いに決まってると思います。
でも、この話も結構地雷案件じゃないのかなぁと思ったりしています。
さて、この国はどうなってしまうのやら。