⑤干された日々に考えたこと・始めたこと

前回の続きです。

前回のリンクはこちら→④社会人2年目にして干される

この会社では挽回の余地はもうない

仕事できないから仕事来ない、仕事来ないからできるようにもならないのスパイラルにガッツリ嵌ってしまい、会社もただでさえ多くの余剰人員を抱えているため、挽回は絶望的な状態になりました。同期入社の人たちの様子を見たり、噂話を聞いたりすると胸糞悪いわ、惨めだわ…どうして自分だけが最初あんな上司にあたったんだ?…という気持ちで一杯になりました。差は広がる一方です。

部署移ってからも最初のうちは仕事なければ「何かありませんか?」と課長に聞いたりもしましたが、大体、困った顔しながら雑用ひねり出してくる感じだったので、やがてはそれ言うのも億劫に。

でも辞めるに辞められない

普通なら、こういう状況に陥ったら、そこで無理に頑張るよりも一度環境を変えてリセットしてしまう方が良いんだろうなとは思っていました。言ってもまだ20代前半です。

でも、辞められない事情がありました。

景気が瞬間凍結しました。

入社して割とすぐにリーマンショックが起きたのですが、丁度そのころは影響が世界中に波及して景気が凍り付いていた時期でした。世間どこ見たって、学生に対しては内定取り消し、非正規雇用はホロコースト、正社員もパフォーマンス悪ければリストラ、工場のラインはストップ…そんな状態なんで、第二新卒取るような会社はほぼなしです。下手に辞めたら無職から抜け出せなくなるのは明々白々でした。

このままでは人生詰む

当時はリストラらしいリストラはやったことない会社でしたし(今は違う)、労組が変に強かったので当面クビになる心配はなかったと言えばなかったです。

とはいえ、これがずっと続く保証なんてどこにもなかったし、景気とは別次元の話として主力事業が当時からややオワコン気味になってきていたので、将来的には「ない袖は振れない」となる可能性は十分にありました。

そして、自分が若くてまだ会社員人生の先が30年以上あることを思えば、終身雇用アテにしてもどこかで何かの理由で梯子を外される…のがメインシナリオに思えました。つまり、茹でガエルになる危険があると。

できる対策を少しずつやってみた

社内でスキル上げられない、転職も絶望的という状況だったので、せめて会社への経済的依存度を下げようと考えました。

いつまで働けるか分からないから、とにかく貯められるうちに貯められるだけ貯めようと。

これは新人の時にパワハラ受けた時点で怖くて本能的にやり始めていたのですが、それを加速させた感じです。

ここで、私は自分が育った環境のおかげでかなり得をします。

以前、貧乏が高給取りになっても無駄で話に出した、高給取りでもお金に困る人たちとうちの家族は逆のパターンなんです。そんな環境で育ったので、私も特に我慢せずにドケチができます。そんな自分が結構本気になって貯め始めました。

当時は実家通いでしたが、家に入れるお金は月2万円で済んだし(家族4人で食費や光熱インフラ費が8万ぐらい)、自分の携帯代も2000円を切っていたし、それ以外の出費も月2万円あればおつりが出ました(出るようにしました)。なので、月4~5万は必要だけど、それ以外は全て貯金。

なので、当時は税込み年収400万円前後だったのに年間250~300万円ぐらいの急ピッチで資産を築いていくことになります。

つづく